2008年8月29日
さいたま新都心駅付近(大宮操)にて桃太郎牽引のトヨタロングパスエクスプレスに遭遇。11時45分ごろ。知人に情報収集したところ、この貨物列車は朝、昼、晩、いろんな時間帯に見られるようです。
つづき・・・京浜東北と東武野田線
1つ前の記事のつづきになりますが、
京浜東北線のホームから見た、東武野田線のホームです。
終端部に標識が立っており、ブロックの車止めが立ちふさがっていますが、そのまっすぐ先は東武野田線のホーム終端部あたりへ向かっているのがお判りいただけると思います。
東武野田線(乗降中)のホームはぐぐっと湾曲しており、むしろ京浜東北のホームへ入線した方が野田線から見ても素直です。直通の予定があったにせよ無かったにせよ、必要があればちょっとした工事ですぐに直通できる配置になっています。
東北(宇都宮)線に乗って見ていると一番よくわかるのですが、併走している線路を走っている電車が、大宮より北では東武野田線の8000系だったものが、大宮以南は京浜東北のE233系や209系に取って代わるのです。まるで乗り入れしているかのようであり、そうなってほしいなぁ、とついつい思ってしまう一因になっていることは間違いありません。
★ ★ ★ ★ ★
ところで、写真を撮っていて、上りホームであるはずの東北線3番、4番線から逆進で回送線に入るための信号機があることに気づきました。赤になっていますが、3・4番線からの引き上げというのは私は見たことがありません。たった一本だけ、大宮止まりの東北線上り列車があります(最終列車)ので、その引き上げに利用されているのかもしれません。
あるいは、ダイヤ乱れで大宮で運転を打ち切ったり、やりくりのため回送線を突っ込み線に利用する場合などに、使用されることがあるかもしれませんね。
2008年8月26日
東武野田線直通は夢か
◇
京浜東北線は大宮を起点とし、東京、横浜を経て根岸線に入り、海岸回りで大船までを結びます。(従って上り、下りと言わず、南行/北行と言います)
そのホームは大宮駅のもっとも東側にあり、島式ホーム1面2線がこれに充てられています。番線で言うと1番線と2番線です。(写真1、右手前)
写真奥に見えている電車は東武野田線の8000系で、JRとは連絡通路を介して乗り換えるようになっています。隣同士なのに乗り換えが面倒なのは、池袋とよく似ています。
さて、京浜東北線ホームの北側は写真2のように車止めになっており、終端標が掲出されています。ところが、この車止めを無視して線路を延ばしてみると、そのまま東武野田線に入って行ってしまうかのように見えます。写真1に4番線に入線してくる東北線のE231系が写っていますが、この線路と見比べていただくと、東武野田線と京浜東北線をつないだラインの方がむしろストレートに近いことが判ります。
東武野田線は駅手前で左にカーブし、京浜東北線のホームに被さるように位置する東武線ホームに入ってゆきますが、このカーブにポイントを設置し、直進ルートを作ってやれば、直ちに京浜東北線へ直通することができる構造です。
これはおそらく、戦時、旅客というよりは物資(具体的に言えば大宮で製造していた中島飛行機のエンジン)を、飛行機工場のある群馬県太田へ輸送するルートの一つとして想定されていたのではないか、と考えると得心がいきます。富士重工の引き込み線(廃線、現・土呂駅西通り)から東北回送線を経て大宮駅3番線を一旦通過させ、切り返して京浜の2番線に入り、そのまま北進して東武野田線を通り、春日部、杉戸(現:東武動物公園)を経て伊勢崎、太田へ。非常になめらかにつながります。
しかしたとえこの空想が当たっていたにせよ、それは戦時の話。戦後、東武側からは何度か直通運転の打診があったと聞きますが、JR側が応じなかった、と言われています。その実際の理由は判りませんが、たしかにJRは首都圏に於いて営団(現:メトロ)以外と相互乗り入れをしていません。国鉄と営団はともに公的企業でしたから、逆に言えば、JRは民鉄各社との直通を一切していないのです。(3セクの東葉高速、臨海高速は公企業)。
例外として秩父鉄道と乗り入れをしていた時期がありますが、今は行っていません。秩父鉄道は軍需企業でもあった秩父セメントのセメントを積み出す重要なルートでしたから、なかば国鉄として扱われていた名残なのでしょう。
結局、利用客にとっては長年の悲願である東武野田線-JR京浜東北線の相互直通はいまだ実現していません。もちろん、電車のやりくりの問題や設備の問題、そして電車それ自体の性能差(さすがに8000系とE233系では差がありすぎます)など、障害はありますが、その気になれば解決できない問題ではありません。ようは、JR側に何らかの理由があるのでしょう。
そうした経緯を鑑みると、湘南新宿ラインから東武日光線への直通運転の実現(しかもスペーシアの乗り入れ!)がいかに画期的な出来事であったかが判ります。願わくば、次は栗橋ではなく大宮で乗り入れてほしい。岩槻経由で埼玉高速鉄道と乗り入れが実現すれば最高だなあ、と思うのですが、不可能なのでしょうか、→→上田知事殿。
京浜東北線は大宮を起点とし、東京、横浜を経て根岸線に入り、海岸回りで大船までを結びます。(従って上り、下りと言わず、南行/北行と言います)
そのホームは大宮駅のもっとも東側にあり、島式ホーム1面2線がこれに充てられています。番線で言うと1番線と2番線です。(写真1、右手前)
写真奥に見えている電車は東武野田線の8000系で、JRとは連絡通路を介して乗り換えるようになっています。隣同士なのに乗り換えが面倒なのは、池袋とよく似ています。
さて、京浜東北線ホームの北側は写真2のように車止めになっており、終端標が掲出されています。ところが、この車止めを無視して線路を延ばしてみると、そのまま東武野田線に入って行ってしまうかのように見えます。写真1に4番線に入線してくる東北線のE231系が写っていますが、この線路と見比べていただくと、東武野田線と京浜東北線をつないだラインの方がむしろストレートに近いことが判ります。
東武野田線は駅手前で左にカーブし、京浜東北線のホームに被さるように位置する東武線ホームに入ってゆきますが、このカーブにポイントを設置し、直進ルートを作ってやれば、直ちに京浜東北線へ直通することができる構造です。
これはおそらく、戦時、旅客というよりは物資(具体的に言えば大宮で製造していた中島飛行機のエンジン)を、飛行機工場のある群馬県太田へ輸送するルートの一つとして想定されていたのではないか、と考えると得心がいきます。富士重工の引き込み線(廃線、現・土呂駅西通り)から東北回送線を経て大宮駅3番線を一旦通過させ、切り返して京浜の2番線に入り、そのまま北進して東武野田線を通り、春日部、杉戸(現:東武動物公園)を経て伊勢崎、太田へ。非常になめらかにつながります。
しかしたとえこの空想が当たっていたにせよ、それは戦時の話。戦後、東武側からは何度か直通運転の打診があったと聞きますが、JR側が応じなかった、と言われています。その実際の理由は判りませんが、たしかにJRは首都圏に於いて営団(現:メトロ)以外と相互乗り入れをしていません。国鉄と営団はともに公的企業でしたから、逆に言えば、JRは民鉄各社との直通を一切していないのです。(3セクの東葉高速、臨海高速は公企業)。
例外として秩父鉄道と乗り入れをしていた時期がありますが、今は行っていません。秩父鉄道は軍需企業でもあった秩父セメントのセメントを積み出す重要なルートでしたから、なかば国鉄として扱われていた名残なのでしょう。
結局、利用客にとっては長年の悲願である東武野田線-JR京浜東北線の相互直通はいまだ実現していません。もちろん、電車のやりくりの問題や設備の問題、そして電車それ自体の性能差(さすがに8000系とE233系では差がありすぎます)など、障害はありますが、その気になれば解決できない問題ではありません。ようは、JR側に何らかの理由があるのでしょう。
そうした経緯を鑑みると、湘南新宿ラインから東武日光線への直通運転の実現(しかもスペーシアの乗り入れ!)がいかに画期的な出来事であったかが判ります。願わくば、次は栗橋ではなく大宮で乗り入れてほしい。岩槻経由で埼玉高速鉄道と乗り入れが実現すれば最高だなあ、と思うのですが、不可能なのでしょうか、→→上田知事殿。
2008年8月25日
2008年8月21日
ホームのスピーカー
駅の風物シリーズ!今回はスピーカーです。
京浜東北線が発着する大宮駅2番線ではサッカーJ1・大宮アルディージャのオフィシャルソング『Vamos Ardija』が発メロとして流れます。
とてもよく響くサウンドで、キンと澄んだ美音が以前から気にはなっていたのですが、たまたまスピーカーの近くに降りたのでまじましと見てみました。
駅のスピーカーというと大体業務用スピーカーメーカーのものが多くて、サウンドは2の次、なイメージがあったもので、ブランドロゴをみてびっくり。
『Victor』とあります。まちがいなくあのロゴです。美音の正体はオーディオブランド、ビクターのスピーカーだったのでした。
知ってしまうと、ああ、たしかにビクターの音ってこんな感じだなあ、と思えるから変なもんです。
でも、確かに『美音のビクター』のイメージにぴったりの音がしています。響きが豊かで、明るいサウンドです。
大宮駅のための発メロ『Vamos Ardija』を美しい響きでで聞かせてくれる、美音スピーカーに拍手( ̄ー ̄)//""
京浜東北線が発着する大宮駅2番線ではサッカーJ1・大宮アルディージャのオフィシャルソング『Vamos Ardija』が発メロとして流れます。
とてもよく響くサウンドで、キンと澄んだ美音が以前から気にはなっていたのですが、たまたまスピーカーの近くに降りたのでまじましと見てみました。
駅のスピーカーというと大体業務用スピーカーメーカーのものが多くて、サウンドは2の次、なイメージがあったもので、ブランドロゴをみてびっくり。
『Victor』とあります。まちがいなくあのロゴです。美音の正体はオーディオブランド、ビクターのスピーカーだったのでした。
知ってしまうと、ああ、たしかにビクターの音ってこんな感じだなあ、と思えるから変なもんです。
でも、確かに『美音のビクター』のイメージにぴったりの音がしています。響きが豊かで、明るいサウンドです。
大宮駅のための発メロ『Vamos Ardija』を美しい響きでで聞かせてくれる、美音スピーカーに拍手( ̄ー ̄)//""
2008年8月18日
2008年8月16日
2008年8月15日
2008年8月12日
EF66 0番台
さいたま新都心駅横に停車したEF66牽引の貨物列車です。このあたりは元の大宮操駅の構内にあたります。
EF66は元々東海道方面を主体に活躍してきた機関車で、以前は東京からこちらへは姿を見せなかったのですが、ここ数年、たびたび姿を見せるようになりました。
0番台と100番台とではデザインが大きく変わっており、100番台は『桃太郎』EF210にやや似たスタイルになっていますが、0番台は特急列車も牽いていた国鉄時代の色のものが多く残っています。
国鉄時代に製造された機関車ではもっともパワーのあったEF66は、代替機としてEH200の登場をもって置き換えされると見られましたが、何しろ大所帯であり、EH200もそれほど大量に製造されていないことから、まだまだしばらく貨物の中心的な機種として活躍してゆくのだろうと思われ、東北線方面でも当分は目にすることができるでしょう。
2008年8月 9日
2008年8月 8日
2008年8月 7日
日進七夕祭り
日陰を求めて
旧国道16号大栄橋北側から見た大宮総合車両センターです。
大栄橋の、新幹線高架下は貴重な日陰。真夏の日射しを避けて一休みするならここはお薦めです。
毎日いろんな車両が出入りする工場の風景。ぼうっと眺めているのも悪くありません。
↓大きな写真へのリンク↓
20080807大宮 |
エキュート大宮・深夜
深夜、午前0時40分。埼京線最終列車が出たあとの大宮駅南コンコースです。どこからともなく「アンドロイド0指令・・・」なんて宇宙人のアナウンスが聞こえてきそうです。そう、ここは「エキュート大宮」という名のデパートでもあるのです。
シャッターが閉まっていると紛れもなくコンコースに見えますが、店舗が開店すると様相は一変します。駅とデパートが融合した特殊空間、エキュート大宮。品川のエキュートはコンコースとショップをエリア分けしているので、この不思議な雰囲気はありません。まだ日本にここだけしかない、特殊風景です。
★ ★ ★ ★ ★
あと2本、終着の京浜東北線を待って、午前1時30分には駅は眠りにつきます。もちろん、そのあともクリーニングや整備など、お客さんを迎えるための準備は行われています。
2008年8月 4日
2008年8月 2日
209系廃車回送
東大宮回送線にて209系電車の廃車回送に遭遇。
沢山のカメラマンがいらしたので、周知のイベントだったようですね。写真は撮れなかったのですが、きっとどなたか上げてくださる方がいらっしゃるでしょう。
しばらく東大宮車両センターに留置されていた何編成かの一つだろうと思われます。
EF65に牽引されたその姿を見て思わず『ドナドナ』が脳裡に流れました。
最近ではE233系への置き換えもだいぶ進み、徐々に数を減らしているスカイブルーの209系0番台。
廃車回送の風景がこれからも増えるのでしょうね。
沢山のカメラマンがいらしたので、周知のイベントだったようですね。写真は撮れなかったのですが、きっとどなたか上げてくださる方がいらっしゃるでしょう。
しばらく東大宮車両センターに留置されていた何編成かの一つだろうと思われます。
EF65に牽引されたその姿を見て思わず『ドナドナ』が脳裡に流れました。
最近ではE233系への置き換えもだいぶ進み、徐々に数を減らしているスカイブルーの209系0番台。
廃車回送の風景がこれからも増えるのでしょうね。
2008年8月 1日
氷川神社例大祭
8月1日は氷川神社例大祭です。
神社の神事はきっちり時計通りというわけではなく、午前9時30分くらいからまったりと動き出します。
神職に伴われて勅使が参内し、一連の神事は滞りなく執り行われて行きます。
ただし、神事を観覧?するには事前に受付をしないといけません。始まったら基本、退席できませんから、飛び込みではなくて、身なりをきちんとして、余裕を持って行きましょう。
★ ★ ★ ★ ★
いっぽうこれに平行して、神社境内に勢揃いした旧大宮宿の各町内神輿や山車が列を成して参道へ繰り出し、長い参道を練り歩きます。ちょうど大相撲の幕の内土俵入りのような行事です。これは各町内の神輿が神社にお披露目をし、再び町内へ帰って行くという意味があるようです。
神輿が町内へ帰ると、町内祭りが始まります。これを連合で行うのが「大宮まつり」です。
埼玉随一の商都にあって繁栄を競う各町内の神輿はどれもたいへん豪華で、神輿を担ぐ人たちの表情にも商都ならではの華やかさがあるように感じられます。
博多のような荒々しさはありませんが、これが氷川神社の門前町、大宮のスタイルだと思います。
外部リンク ↓
20080801氷川 |