2008年8月26日

東武野田線直通は夢か

京浜東北ホーム突き当たり02.jpg 京浜東北ホーム突き当たり01.jpg

京浜東北線は大宮を起点とし、東京、横浜を経て根岸線に入り、海岸回りで大船までを結びます。(従って上り、下りと言わず、南行/北行と言います)

そのホームは大宮駅のもっとも東側にあり、島式ホーム1面2線がこれに充てられています。番線で言うと1番線と2番線です。(写真1、右手前)

写真奥に見えている電車は東武野田線の8000系で、JRとは連絡通路を介して乗り換えるようになっています。隣同士なのに乗り換えが面倒なのは、池袋とよく似ています。

さて、京浜東北線ホームの北側は写真2のように車止めになっており、終端標が掲出されています。ところが、この車止めを無視して線路を延ばしてみると、そのまま東武野田線に入って行ってしまうかのように見えます。写真1に4番線に入線してくる東北線のE231系が写っていますが、この線路と見比べていただくと、東武野田線と京浜東北線をつないだラインの方がむしろストレートに近いことが判ります。

東武野田線は駅手前で左にカーブし、京浜東北線のホームに被さるように位置する東武線ホームに入ってゆきますが、このカーブにポイントを設置し、直進ルートを作ってやれば、直ちに京浜東北線へ直通することができる構造です。

これはおそらく、戦時、旅客というよりは物資(具体的に言えば大宮で製造していた中島飛行機のエンジン)を、飛行機工場のある群馬県太田へ輸送するルートの一つとして想定されていたのではないか、と考えると得心がいきます。富士重工の引き込み線(廃線、現・土呂駅西通り)から東北回送線を経て大宮駅3番線を一旦通過させ、切り返して京浜の2番線に入り、そのまま北進して東武野田線を通り、春日部、杉戸(現:東武動物公園)を経て伊勢崎、太田へ。非常になめらかにつながります。

しかしたとえこの空想が当たっていたにせよ、それは戦時の話。戦後、東武側からは何度か直通運転の打診があったと聞きますが、JR側が応じなかった、と言われています。その実際の理由は判りませんが、たしかにJRは首都圏に於いて営団(現:メトロ)以外と相互乗り入れをしていません。国鉄と営団はともに公的企業でしたから、逆に言えば、JRは民鉄各社との直通を一切していないのです。(3セクの東葉高速臨海高速は公企業)。

例外として秩父鉄道と乗り入れをしていた時期がありますが、今は行っていません。秩父鉄道は軍需企業でもあった秩父セメントのセメントを積み出す重要なルートでしたから、なかば国鉄として扱われていた名残なのでしょう。

結局、利用客にとっては長年の悲願である東武野田線-JR京浜東北線の相互直通はいまだ実現していません。もちろん、電車のやりくりの問題や設備の問題、そして電車それ自体の性能差(さすがに8000系とE233系では差がありすぎます)など、障害はありますが、その気になれば解決できない問題ではありません。ようは、JR側に何らかの理由があるのでしょう。

そうした経緯を鑑みると、湘南新宿ラインから東武日光線への直通運転の実現(しかもスペーシアの乗り入れ!)がいかに画期的な出来事であったかが判ります。願わくば、次は栗橋ではなく大宮で乗り入れてほしい。岩槻経由で埼玉高速鉄道と乗り入れが実現すれば最高だなあ、と思うのですが、不可能なのでしょうか、→→上田知事殿。